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靴のぬぎはき

我が家でのこと

子供が靴を脱ぎっぱなしで 家にあがったので

「靴が揃ってないよ」

というと

「揃える必要はあるのかな」 「自由でいいんじゃない?」

という

なにか 自分の楽なことを 自由と錯誤しているようだ

「次に履く時に 履きやすいように」 と靴を揃えるこころ

そういう 思いやりのこころを 持った生活をしたいか どうか

自分だけなら いいじゃないか と乱すうちに

そのこころが 養われるチャンスを 逃すことになること

マナーは そんな風に出来上がって きているのだから 習慣を軽んじて欲しくない

と話しました

 

「外ではできているから」

と話す子供に

それなら 尚のことと

自分に対して 思いやりのこころを 持つことが できないのに

外でできるという 道理はない とはなします

外で マナーを 知っている人然として と靴を揃えても

それは パフォーマンスとして わざわざやっている ということに なってしまうし

人の靴を揃える時には やってあげているという 偽善になって しまうでしょう

でも何より 愕然と思うことは

これまで育ててきた中で 自然とそのことが 身についていない 子供の姿に

靴の脱ぎ履きは 出来ていたとしても、 同様の有様を 自分の内にみてしまう ということです selfcareSupport 長塚

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