以前ママ友と 子どもの 夏休みの宿題について 話している時
必ず原爆についての 課題が出るんだよと 長崎出身の方が 話していました
「へ〜 そうなんだね」 と答えながら
その時 自分のなかに 当事者意識が 全く無いことに気づき 自分に対して失望した 記憶があります
今 震災の報道が多くあり その報道内容に こころを寄せるのも 自分が仙台出身 だからなのかな と考えたりします
震災の報道の中で
「おいらは 奇跡で生きているの?」
と父親とお姉ちゃんを 津波で亡くした男の子が お母さんに聞いていました
「そうだよ」 とお母さんが こたえていました
残されたものが 家族を語り継ぎ その意味を考えています
今のご時世だから テレビでたくさん そのような特集が されるけれど
報道がされなくとも
これまでの たくさんの大変な想いを 乗り越えてきた 先人がいて その想いも継いで ワタシタチは 今ここにいる ということを
年に一度ではなく
日々思いをいたして 生活できたら 素晴らしいと おもいました
震災を経験して 写真に日々語りかけ 共に生きていることを 感じ取りながら 生活できている 経験者は 本当に 毎日を生きていると おもいます
災害、紛争、 事故、殺人、 自殺、
原因を特定して ネガティブな出来事が 起きないよう ルールを決めて 努力することも もちろん 大切だと思いますが
繋がり 共に生きている ということを 感じ取ることが できるようになる
という ポジティブが 生まれるために
このような事象が 起きてくると 考えたならば
辛いことが 起きる前から
生かされていることの 意味を本気で考えて ひとりひとりが 毎日を大切に過ごして いければ
こういった事象が 起きなくなってくると 考えることも できると思うのです selfcareSupport 長塚
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